12月23日からはじまる冬期講習に戦々恐々としているところです。冬休みは期間が短いので、1日あたりの授業時間が長くなり、かつそれが連日続くのです。しかも今年は、210分とはいえ去年より1講座増えているのも恐ろしい点です。
さて、今日は氏姓制度についての質問にお答えします。
<Yさん>
こんばんは! 河合の藤沢校のYと申します。石黒先生の通年授業を初めからとっていました。1年間ありがとうございました。そこでノートからの質問なのですが、近江令が制定されたときに編者である中臣鎌足に大織冠と藤原姓が与えられましたが、その藤原姓というのは大和政権の氏姓制度と関係があるものなのでしょうか? 今になって分からなくなってしまい、初歩的な質問ですいません。
<石黒>
ここでいう「藤原姓」とはカバネのことではなく、名字の「姓」のことです。Yさんの言う「大和政権の氏姓制度」というのが、カバネの制度のことだけを指すなら、直接関係はありません。逆に「氏」のことも含んで言うなら、藤原氏という新たな氏が誕生したという意味で、関係があります。
<Yさん>
(前略)大和政権の氏姓制度の「氏」が関係しているということは、中大兄政権になっても氏姓制度は生きていた(使われていた)ということなのでしょうか? できれば氏姓制度がいつ頃廃止された(使われなくなった)かも教えていただけると幸いです。
<石黒>
えええ? おかしなことを言ってますよ。八色の姓を考えましょう。氏姓制度の廃止については、氏姓制度をどうとらえるかで話は変わります。氏を単位に職務を担っていたという点に注目すれば、律令制定にともなう官僚制度にとってかわられたと言えます。しかし、カバネ自体は「藤原朝臣緒嗣」のように平安期の史料でも出てくるので、残っていると言えます。
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