早稲田の文化構想学部の問題は、
「ハーフサイズ模試」をオンライン受験した人たちにとっては、
ニヤニヤだったはずです。
数名から配点についての質問がありましたが、
2つ選べ問題は、基本的に完答しないと得点にならないと思います。
どの問題が配点2点なのかは謎です。
「難しかった問題=不正解した問題」を、
2点と計算した方が無難でしょうね。
さて、明治大と専修大の問題の質問にお答えします。
<Sさん>
石黒先生へ。こんばんは。早稲田予備校のSです。今日、明治大学政治経済学部をうけました。2て質問があります。
設問 満州事変のその後の経過について、以下の記述の中で誤っているものはどれか。一つ選びなさい。
A 当初、日本政府と陸軍中央は不拡大方針をとった。
B 関東軍は満州国を建国し、清朝最後の皇帝溥儀を執政にした。
C 斎藤内閣は日満議定書を取り交わし、満州国を承認した。
D 国際連盟の調査団はその報告書で満州における日本の特殊権益を認め、日中間で新条約を結ぶよう提案した。
E 国民政府は塘沽停戦協定のていけつにともない満州国を正式に承認した。
AとEとで迷った末Eにしました。Aにおいては、「陸軍中央」にひっかっかりました。満州事変のときはもちろん阿部と米内内閣の対戦不介入などを考えたときに、「陸軍中央」はそれにあてはまるのかどうか迷ったからです。新体制運動の畑なんとかとい人もいるし…。一方Eでは、「正式」にが怪しいと思いました。中国はとりあえず内戦のため日本と停戦したいだけだし、日本も長引く日中戦争の負担が重く、ここで満州国を正式に承認させるほど余裕があったとは思えません。そもそも、Aでまようこと自体私の陸軍についての理解不足からきているだと思いますが…。陸軍と近衛の新体制運動との繋がりが曖昧なのでしょうか???もう一つあります。
設問 教育基本法について誤っているものはどれか。次の中から一つ選びなさい。
A すべての国民に教育の機会均等があたえられた。
B 義務教育年限が9年となった。
C 男女共学が認められた。
D 国および地方公共団体が設立する大学は、特定の宗教のための教育を行ってはいけないことになった。
E 都道府県および市町村には教育委員会を設置しなければならなくなった。
DもEも大丈夫そいうだけどAも大丈夫そう…。もうここは苦し紛れに「今高校行けなかったり、大学行けなかったりするじゃん…。」と勝手にケチをつけてAを選択しました。でもよくよく考えると「機会」は与えられてるような気もしますし…。夜分遅くに長々と申し訳ありませんが、宜しくお願いします。今日はもうこんな時間ですし、お忙しいようでしたら、私は明日試験がないので今日中じゃなくても構いません。
<石黒>
一つめの問題ですが、正解はEです。
停戦はしましたが、満州国を「正式に」承認してはいません。
ただし、Aも正文とはいいがたいのです。
そこがこの問題の悩みどころでした。
実は、盧溝橋事件の際には参謀本部の一部が、
対ソ戦備充実の見地から事変不拡大を希望しました。
このことは時間的に余裕のある予備校ではしゃべる話です。
ところが柳条湖事件の時は微妙なのです。
詳しくは説明しませんが、もしかしたら作問ミスの可能性があります。
Eを選んでいたなら文句ありません。
二つめの問題は、単純にEです。
教育委員会の設置は、1948年制定の教育委員会法によるもので、
教育基本法とは無関係です。
例によってノートを広く復元しながら解けば、
教育委員会法のことも思い出せたはずです。
もったいなかったですね。
<Kさん>
専修大学の問題です。調べても分からなかったので教えて頂きたいです!
足利義満の時代以降の作品について成立年の古い順に配列しなさい。
(1)大徳寺大仙院花鳥図(狩野元信)
(2)樵談治要(一条兼良)
(3)風姿花伝(世阿弥)
(1)の年代が分かりませんでした(;o;)
<石黒>
正解は(3)→(2)→(1)です。
(1)は狩野正信の子だから、
東山文化でも遅い方だろうと考えれば正解できました。
どうもみなさん「その単語」にしか目が行っていないようです。
もったいないことこのうえなしです。
広く復元して解いてください。