入試問題を延々と調べていると、世間では有名な用語でも、実際にはあまり出題されない用語がいくつもあることに気づきます。いろんな参考書や予備校のテキストには書いてあっても、ほとんど出題されない用語です。生徒からの「○○がノートにないんですけど、覚えなくていいんですか?」という質問でも、そのギャップが発覚します。先日も、平安時代の他氏排斥事件でそれが発覚しました。そんな人物を覚えるくらいなら、もっと他の内容を覚えてほしいところです。
実際の入試では出題されているのに、世間では覚えなくていいとされている内容があるからです。いわゆるニヤリ単語です。
さて、この問題は「捨て問」でしょうか。
高山右近の追放と同時に、当時ポルトガル領だった土地に追放された人々がいる。それはどこか、ア~エから選び、記号で答えなさい。
ア.マラッカ イ.マカオ ウ.南京 エ.安南
先日、この問題について、質問メールをいただいていたのです。答えを考えてから、つづきをお読みください。
<Tさん>
石黒先生こんばんは^^ 教材関係ではないのですが、問題集の不明な点がまたあったのでお聞きしてもよろしいでしょうか??>< 東進ブックスの、”日本史問題集完全版”に載っている、聖心女子大学文学部の問題なのですが、
“高山右近は………国外へ追放され、難民となった。………右近とその同胞は、当地の市民から大歓迎を受けたと記録されている。<<右近とともに海を渡った100名をこえる日本人とその子孫>>は、鎖国令が解かれる19世紀まで帰国を許されず………
※<<>>内は下線部です。
問3 下線部について、右近の追放と同時に、当時ポルトガル領だった土地に追放された人々がいる。それはどこか、ア~エから選び、記号で答えなさい。
ア.マラッカ イ.マカオ ウ.南京 エ.安南
ウとエはすぐに外せたのですが、アとイで悩んでしまいました><;; どっちもポルトガル領だと思ったので、とりあえず×にして答えを見たら”イ”となっていたのですが、それは日本から見てインドの方が中国より遠く、追放には遠すぎるというのが、アが解答の理由なのでしょうか?? 分かりにくい質問ですみません。どこが根拠になるのか教えて下さい。返信はいつでもかまいません^^夜分遅く失礼しました><
PS:先生のブログ、毎日楽しく有意義に拝見させて頂いていたのですが、更新日が限られてしまって残念です>< でも、先生みたいな大人気講師だと、多忙ですから仕方ないですね>< お体には十分に気をつけてください^^
<石黒>
その問題は2003年の聖心女子大の問題で、ちょっと難しいですね。めったに出ない問題なので捨ててしまってもかまわないのですが、山川の教科書には「1614(慶長19)年には,高山右近ら 300余人をマニラとマカオに追放した。」と書いてあります。僕の提案する解き方は、原マルチノがこの時にマカオに追放されたのを覚えておいて、そこから導き出す方法です。天正遣欧使節の4人は、帰国後どんな人生をたどったかが出題されることがあるのです。『読むだけ日本史(1)』には載っていませんが、通年授業でも触れていますし、『でる日講義−とことん文化史−』でもしゃべっています。また『難関大用語集解』にも書いてあります。
<Tさん>
早々のお返事ありがとうございます^^ 原マルチノの件は知っていたので、「なるほど」と理解出来ました^^ 昨日、アチーブメントテストを受けてきました!!受験日本史のプロの石黒先生が作っているのは存じていますので、毎月凄く楽しんで受けさせてもらっています!! お忙しい中ありがとうございました^^
ときどき質問をくれるT君ですが、順調に学習が進んでいるようで何よりです。その調子でお願いします。