悩ませる、応仁の乱の東軍と西軍

以前にも質問されて、このブログでお答えしたことがある、
定番質問のメールをいただきました。

<Kさん>
以前明治大学の政治経済・商・経営の出題傾向などを質問した、自宅浪人中のKです。応仁の乱についての質問なんですが、読むだけ日本史(1)P110には義政の弟義視が東軍細川氏に、義政の妻日野富子の子義尚が西軍の山名氏についた。と書いてあります。○○の△△先生の「◇◇」P72には西軍に義視・東軍に義尚と書いてあります。どちらが正しいのでしょうか?
(編注:参考書名は伏せさせていただきました)

<石黒>
応仁の乱勃発時は、
『読むだけ日本史(1)』の通りの状態だったのですが、
途中で入れ替わったのです。
山川出版の教科書でも入れ替わった後で記述しているようですが、
一般的には最初の東西軍の状態しか出題されません。
その参考書も出題率ではなく、
教科書を重視して書いているのでしょうね。

返信をさしあげたのですが、
その後何のリアクションもありませんでした。
納得してもらえていないのかもしれません。
それだけ、教科書やその参考書の影響力が大きいのでしょう。
そこで、1998年成蹊大文学部の問題を紹介します。

15世紀の管領細川氏にかんする次の文章のうち、正しいのはどれか。
(ア)寧波の乱を引き起こしたが敗れた。
(イ)代々、京都の警備担当の職についた。
(ウ)和泉・摂津・播磨の守護職を世襲した。
(エ)応仁の乱のはじめ、足利義視を支援した。
(オ)応仁の乱後、中央政界で畠山氏にとってかわられた。

ま、まさか、(ア)なんてボケをかました人はいませんよね?
その人は、センター試験の正誤問題がニガテなタイプですよ。
よーく考え直してください。
それにしてもこの問題、(エ)を正しいと言い切れないと、
正解するのは難しいんじゃないでしょうか。
この問題は一例にすぎません。
さすがにこれ以外の出題データは伏せさせていただきます。