昨日の、兵庫北関入船納帳の話、
もしかしてこんなこと思った人がいるでしょうか?
「おいおい、その説明じゃ今年の早稲田法学部は解けないぞ!」と。
そうなんです。
さすが早稲田、もう一つ上のレベルで出題してきました。
問題をごらんください。
問 大輪田泊について述べた次の文章のうち,誤っているものを1つ選び該当記号をマークしなさい。
あ 奈良時代に行基が開設したといわれる五泊の1つである。
い 平清盛は,石に一切経を書いて沈め,経ヶ島という防波堤を完成させた。
う 後世,兵庫津とよばれた。
え 平家滅亡後,興福寺の支配するところとなり,入港税を徴収する権限を得た。これが兵庫北関である。
お 応仁・文明の乱で荒廃し,日明貿易の中心港は堺に奪われることになった。
正直、この問題は難問と切り捨ててもいい気がしますが、
一応、『難関大用語集解』ではこう説明しています。
大輪田泊は鎌倉時代には兵庫津と呼ばれるようになり、東大寺の支配下に置かれるようになった。東大寺はここに兵庫北関を設け、船から関銭を徴収する権限も得た。「兵庫北関入船納帳」には、1445年の1年間に2,700艘もの船の出入りがあったことが記録されている。
これで正解がわかりましたね。
「え」の「興福寺の支配」が誤りなわけです。
この説明は、初版本には入れていなかったのですが、
2009年4月の改訂の際に挿入しました。
そして、初版本を購入してくださった方には、
改定部分をメールでお知らせしたのです。
こんなふうに機動的に対応できるのも、
超零細企業ならではの長所だと自負しています。