受験に対する意識の落差

この時期になると、受験生の間にもだいぶ格差が生まれてきます。
講義内容の習得度合いや、
ノート覚えの度合いによって生まれた格差です。
そしてそれは、模試の点数に現れます。
高い結果が出せた人はそれが自信となりますが、
思いのほか成績が低かった人は狼狽しがちです。
前者の場合、過去問の正解率も高くなりますから、
より一層自信をつけることができます。
後者の場合、冷静に適切な対応を取れれば回復は可能ですが、
それができなかった場合には、持ち直すのは非常に困難になります。
なかには日本史をあきらめて、
政経などに変更する人もいるようですが、
‘逃げ’の姿勢でいるかぎり、
何をやってもあまり変わらないような気がします。

このブログを読んでくださっている方には、
ぜひとも自分の勉強法を客観的にとらえてもらいたいものです。
自分ではそれなりに勉強してるつもりでも、
端から見ればたいしたことなかったり、
効率の悪い勉強法だったりするものです。
偉人たちがどう勉強してきたかをぜひ、知ってください。
受験にかぎりませんが、
スゴイ人たちのやっていることを目の当たりすると、
凡人の僕たちは目からウロコが落ちて、やる気がわいてきますよ。

今日はそんな話のメールを紹介します。
すでに5月の段階でいただいていたものです。

<Hさん>
こんばんは。先生の講座を受講させていただいている、Hという者です。
今回メールを送ろうと思ったのは、受験勉強への取り組み方についての意識が強く変わったからです。
私は△△(編注:予備校名は伏せさせていただきます)にも通っており、自宅からだと△△のほうが近いため、土曜日に初めて△△へ自習しに行きました。そこで私は現役館の自習室との違いを嫌という程実感しました。先生が先日授業内でおっしゃっていた、南浦和校の生徒の甘さというのを初めて本当の意味で理解しました。おそらく△△には浪人生がいるからでしょう、気迫がすごかったです。みんな個々に勉強しているだけなのに、そこには緊張感が張り詰めていました。その中で自習をし、南浦和校で自習する時よりも遥かに充実した時間を過ごすことができました。けれど、夕飯を食べるためにラウンジへ行って愕然としました。そこにあった風景は、自習室の浪人生とはまったく異なる浪人生の姿でした。もちろんラウンジは休むところです。息抜きに来ているだけの方もたくさんいただろうとは思います。でも私がみたのは、机にノートを広げ、友達と無関係の話をしながらだらだらと勉強する浪人生の姿でした。非常に申し訳ないけれど、私はその姿をみて「現役の時からこんな感じだったんだろうな」と思いました。また、もし彼らがその調子でまた1年過ごすなら、結果は悲惨なものになるだろうなと感じました。それは思ったのではなく、感覚的に理解しました。
先生には申し訳ないのですが、今まで自分には甘いところがありました。そのくせ私は先生のおっしゃる意味を理解したつもりになっていました。私はその△△での一件をこえ、今日また日本史をやったところ、今までと違った意識が生まれました。私がもった意識とは、受験で成功するには、自分がその教科で最も信頼できる先生を妄信すること、というものです。もう行き当たりばったりに勉強する時間などないのだから、ただ一人の先生を妄信して、その先生がおっしゃる勉強法をただひたすらやり抜くことが大事だと思うのです。そんなに強情になることはないけれど、でも「信じる」ことが大切だと思いました。受かる受からないを抜きにして、それを超越したところで勉強できるようになりたいです。とにかくただひたすら先生を信じ、頑張りたいと思います。

<石黒>
受験に対する意識が変わったのはよかったですね。
他人のふり見て我がふり直すのは重要です。
しかし、これで終わりではありません。
たぶんこれからは各科目に対する認識を
ステップアップさせる必要があるでしょう。
日本史ならば、どこまでどういう方法で習得するべきかを
工夫し続ける必要があるのです。
健闘を祈ります。

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