明治大文学部の難問

今年はワセヨビの現役生の中にスゴイ人が何人かいるようです。早い時期から受験に対して厳しい気持ちで取り組んでいる人たちです。今日はその一人であるH君からの質問メールを紹介します。彼はライブ授業ではなく、DVDで通年授業を受講している生徒ですが、二度あった体験授業にライブで参加していたので、積極的な姿勢はよく覚えています。

<Hさん>
夜分遅くにすみません。ズームDVDでお世話になっておりますHと申します。推古朝においての太子の政策について疑問点が生じたので、お時間がありましたらご返答下さい。明治大学文学部の正誤問題で“憲法十七条は蘇我氏との協力のもと作成された”とあり、自分は、“聖徳太子や推古天皇<当時の蘇我氏の権威”をもとに、誤としました。しかし解説は正となってました。
太子は蘇我氏には逆らえない状況下にあっても、中央集権国家を確立させたいという望みから、蘇我氏の専横的な政治の取り方には疑念を抱いていたのでしょうか?お忙しいところすみませんが、よろしくお願いいたします。

<石黒>
それは2000年の明治大文学部の問題でしょうか?

<Hさん>
説明が少なく、申し訳ありません。すみません、しかし問題集なので年度が書いていませんでした。

<石黒>
問題はこんなのでしたでしょうか?
下線部(編注:603年には冠位十二階制,604年には憲法十七条が制定された)に関連して述べた文として,正しいものを一つ選べ。
(1)両者とも,厩戸皇子と蘇我氏が協力した。
(2)両者とも,厩戸皇子が単独で実行した。
(3)蘇我氏は,冠位十二階の位階を授与された。
(4)憲法十七条は,厩戸皇子が単独で立案した。

<Hさん>
その問題で合っております。それで私は(1)を選択してしまいました。

<石黒>
これは大変難しい問題でした。正解は(4)です。他の政策が蘇我馬子との協力で行われたのに対して、憲法十七条については厩戸皇子が単独で作ったようです。実はその後、2005年の△△大◇◇学部でも同じ正誤問題が出されており(後略)

<Hさん>
質問にお付き合いしていただきありがとうございます。それとまことに有益な情報をありがとうございます。(中略)本当にありがとうございました。気候の変わり目ですのでお体に気を付けてお過ごしください。

4月の段階でこうした質問をしてくるとはなかなかですね。これからもこうしたハイレベルな正誤問題を「考えて解く」ことを続けていってもらいたいものです。