明治大学文学部で遣唐使の問題が出ていたようです。
<Sさん>
早朝に申し訳ありません。はじめてメールを送らせてもらうSと申します、宜しくお願いします。石黒先生の「日本史事始」と「本当に受験生が欲しかった問題集」を愛用させていただきました。僕は先日明治大学文学部を受験したのですが、調べても解答がひとつにしぼれない問題があるので、よろしければ正解をおしえていただけないでしょうか?僕は日本史は独学で勉強したので基本的なことでしたら申し訳ありません。その問題はこのようなものでした。
大問Iの問8
遣唐使に関連して述べた文として誤っているものを、次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
(1)白村江の戦いのあと、遣唐使の派遣が中断した。
(2)遣唐使船は2~4隻が多く、数百人が渡海したこともあった。
(3)唐から帰国した吉備真備や玄昉たちが、政界で活躍した。
(4)菅原道真は遣唐使に任命されたが、派遣されなかった。
僕は本番で(3)(4)は即消しできたのですが、(1)と(2)で悩み、(2)の人数を覚えていなかったので△にして(1)があっているということで(2)をマークしました。(1)は白村江の戦いが663年で天武~持統の間が中断していて、それは663年よりもあとで誤りではないですし(白村江の戦い「の直後」とか「によって」とかならば誤りですが…)、(2)だって1隻のことだってあるし、3隻のことはないから「2~4隻」というのも少し引っかかると思ったのですが…どうなんでしょう?僕は問題文から読み取れる限りだと全部正しいと思います。宜しくお願いします。
<石黒>
正解は(1)です。
確かに天武・持統朝に遣唐使の派遣はありませんでしたが、
白村江の戦いの後の665年、667年、669年には、
遣唐使が派遣されていますから。
これではさすがに、
「白村江の戦いのあと……中断した」とは言えないでしょう。
ちなみに船の数は基本的に4隻だったことを覚えておきましょう。
そのうえで「2~4隻」というのを見て、
「あー例外もあるかもなあ」と考えるといいわけです。