ワンフレーズ史料判別(2)前回の答え

今日のエントリーは前回の問題の解答・解説なので、前回を読んでいない人は、先にこちらから読むといいと思います。

というわけで、答えは…


正解は、オ。これは消去法で解く問題です。

ア 「貞観年中」から、貞観格式をつくった清和天皇の時代とわかります。ということは、807年の文書に含まれるわけがありません。810年の薬子の変が、清和より前の嵯峨天皇の時代だったことを考えれば、すぐに時期がおかしいとわかるでしょう。

イ 「田中豊益」から出典は『新猿楽記』(藤原明衡著)とわかります。これは10世紀以降に現れた大名田堵のことが書かれている本です。この著書は意外と出るノーマーク用語ですよ。どこの大学で出やすいかは、「MARCH学習院あるあるチェック」をお楽しみに。

ウ 憲法十七条の一部です。ということは出典は『日本書紀』。これが判別できればゴールは近いですね。

エ 『魏志倭人伝』の一部です。一番簡単ですね。帯方郡は楽浪郡とセットで覚えていることでしょう。

そして、ウやエについては、この上申書とやらに引用されている可能性を、否定できないのですが、答えがオならあちこちつじつまが合うのです。問題文に「撰者自身の氏族が置かれている現状に対する不満」とありますね。そして撰者の「斎部(もと忌部)宿禰広成」の姓は、八色(やくさ)の姓(かばね)における「朝臣(あそみ)」より下位の「宿禰(すくね)」なんです。これが不満だと解釈することができませんか?そのうえ、八色の姓の4番目が「忌寸(いみき)」であったことを思い出せたら、オの「其の四を忌寸といい……」というのが、いかにも正解に見えてきます。

ここに至るためには、いろんな知識と、それを総合的に素速く思い出せるアタマが必要です。

上に書いたことが「あたりまえ」と言えるレベルが、早慶上智では必要です。独学をしている人たちには、この水準というのをつかんでほしいんです。合格するための水準がわからなければ、合格しないのは当然です。

次回は、また別の問題を取りあげます。